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自分も答えが出せない…安楽死をめぐる是認の流れと、置き去りにされる“弱者”の声。伝え続けるのが私の宿題

LINE NEWSが社会課題を工夫して伝えた記事を表彰する「LINEジャーナリズム賞」。2024年の年間大賞には、TBS NEWS DIGが安楽死について取り上げた「『安楽死』を考える スイスで最期を迎えた日本人 生きる道を選んだ難病患者」が選ばれました(総評などはこちら)。

本記事は、安楽死をテーマに2人の難病患者に焦点を当てています。ともに現代医学では回復の見込みがないとされる病気を抱え、1人目の女性は安楽死が合法化されているスイスに向かい、一方2人目の男性は安楽死が安易に容認されることを明確に反対します。ヨーロッパを中心に世界10か国ほどで合法化された安楽死ですが、取材したTBS報道局の西村匡史(ただし)さんは、「自分も答えが出せない」と語ります。記者自身も苦悩と葛藤を繰り返しながら進めた取材の裏側、そして当事者から受け取った思いを、伺いました。

「命」について考えるきっかけになったのであれば、うれしい

――改めて「LINEジャーナリズム賞」の年間大賞受賞、おめでとうございます。

 ありがとうございます。今回の取材は安楽死の是非を問うというよりは、このテーマを通して生きること、死ぬことを考えてもらいたいというのが狙いでした。結局スイスの取材では、安楽死を遂げようとする3人の方の「最期の場面」を撮らせていただきました。そのうちの2人は亡くなった(一人はぎりぎりで翻意した)のですが、彼らも自分たちの姿を通して安楽死について考えてほしいという願いがあって、その思いを僕に託してくれたんです。とにかく精いっぱい伝えますからということで、取材を了承してもらっていました。LINE NEWSを見ているのは比較的若い方が多いですし、たくさんの人の考えるきっかけとなってくれたことが、とてもうれしいです。彼らの命が繋がったとも思っています。亡くなった2人は記事を読めないですが、そういう意味では彼らも理解してくれるのではないかと思っています。

「LINEジャーナリズム賞」のトロフィーを手にする西村さん=東京都港区、TBS本社

――安楽死をテーマに選んだきっかけは何でしょうか? 番組や記事内では、当事者は等しく自殺願望を吐露していますね。

 人間の生きがいとはつまり、自殺を防ぐための生きるヒントとも言えます。命をテーマに、どう生きがいをもって生きていくのかを取材してきた僕にとって、安楽死は全く逆。2019年の9月にロンドン支局に赴任するのですが、その頃、日本から安楽死を望んでスイスに渡る方が出始めていました。まずはその人たちの考えを聞きたいと思ったのが、きっかけですね。

「生きること」を望む難病患者や障害者の思い、置き去りにされないか

――一連の安楽死の記事の中では、それを望む当事者が「死ぬ権利は生まれる権利と同じ」、「痛みに耐えるためにはその選択肢が支えになる。安楽死は生きるための『心のお守り』」と語る一方で、反対する当事者が「安楽死という選択ができるのにしなかったのだから、苦労して生きることを受け入れるべきと言われるのが怖い」と懸念します。

 スペインで取材したラファエルさんという男性は、交通事故で四肢麻痺になった後もパラグライダーに挑戦するくらい、前向きな人でした。一方で、本当にのたうち回るような苦しい痛みがある。最期まで生を全うしようとしつつも、本当に駄目だった場合、安楽死という「心のお守り」があることが自分の生きる支えになっていると言っていました。スイスで安楽死をサポートしている「ライフサークル」という団体でも、実際に安楽死するのは登録している人の3割しかいません。ある種、安楽死があることで生に繋がっている人たちが多くいるのも現実です。

編集作業をする西村さん=東京都港区、TBS本社

 ただ、明確に安楽死に反対されているALS患者(筋肉が徐々に衰えていく難病)の取材の中で、個人的に堪えたことがあります。議論を尽くせば答えが出る問題ではないものの、回復の見込みがなく、辛い症状が伴う難病や障害を負ったときの事を考えると、やっぱり選択できた方がいいと思う人が多く、どうしても社会はそちらに流れて行ってしまうリスクがあること。安楽死について考えてもらいたいと願う一方で、生きることを望む障害や病気のある方たちの思いが、「安楽死の選択肢を選ばないのなら苦労して生きることを受け入れろ」という社会の流れや風潮に押され、置き去りにされてしまいかねない。そこは本当に、ずっと葛藤があります。

スイスで安楽死を遂げることになる女性と話す西村さん

記者人生で、「命」をテーマにしようと決めた2つのきっかけ

――西村さんが記者を志し、そして「命」をテーマに取材を続けるようになったのは、なぜでしょうか?

 ベルリンの壁の崩壊などがあった小学5年生のころから、「ニュースは現代の歴史だな」と、「将来は記者になりたい」と考えるようになりました。そして高校生のときにバブルが弾けて「リストラ自殺」が広がり、年間の自殺者が3万人を超える時代になりました。私の父もリストラに遭いました。熊本出身の九州男児で、「男は家族を食わせてなんぼ」という人が、なかなか再就職も決まらず、母は本当に心配していました。父は悩んだ末に「俺は会社の名刺とともにプライドも捨てるから」と宣言して、それまでとは別の業界に就き、黙々と働き始めました。3万人もが自殺する社会の中で、生きるヒントはどこにあるのか、生きがいってどんなものなのか。その頃からですね、ぼんやりと「命」というテーマを追ってみたいなと思い始めたのは。

「命」をテーマにするに至った経緯を説明する西村さん=東京都港区、TBS本社

――そしてTBSの記者になり、入社1年目でその後を左右する「出会い」があったそうですね。

 当時、TBSでは毎年8月12日、(1985年に起きた)日航機墜落事故の現場である御巣鷹山(群馬県)の取材に、希望する1年生記者は誰でも参加することができたのです。そこで出会ったのが3人の娘さんを亡くしたご遺族の夫婦でした。彼らは遺族として有名になってしまい、事故から4年後に引っ越して、ずっとそれを隠して生きてきたんですね。僕が彼らに出会ったのは2003年ですから、13年間は遺族であることを隠していたんです。
 そういう背景があったので、「取材はごめんね」と言われながらも、プライベートで年に3回、一緒に御巣鷹山を登らせてもらうようになって、最終的にはお願いを受けてもらい、放映することになりました。ただ、放映直前になって怖くなったんです。報じれば全部がばれる。僕らは普段の事件事故でも、被害者の顔写真の提供をお願いすることがあります。「同じ悲劇が起きないよう、報じることで社会に還元していく」という公益性が理由です。ただ目の前にいる、70歳を過ぎたおじいちゃんとおばあちゃんのことを思ったときに、彼らが放映後に被るであろう負担を上回るような公益性があるのだろうか、彼らはそれをちゃんと理解しているだろうかと。なので、お父さんに前日に電話したんですね。本当にいいですか、全部ばれますよ、と。そうしたら、「大丈夫だ、全部受け止める」と言ってくれて。おかげさまで放映したものの、反響が大きかった。当時、僕は26歳かな。たぶん、息子同然に思ってくれたんですよね。そのときですね、この世界で、命をテーマにやっていこうと覚悟が決まったのは。本当に恩人だと思っています。

スイスでは、安楽死を望む当事者をサポートする団体の医師にも何度も話を聞いた

「弱い立場」の人たちの声、伝え続けていくのが私の宿題

――西村さんのような報道を目指す若い記者やジャーナリストに対し、メッセージはありますか?

 記者にとって本来、一番大切なものは番組や記事などのアウトプットだとは思います。でも出会った取材対象者の方って、そのアウトプットに負けないくらい大切な宝物なのです。僕にとっては御巣鷹山のご夫婦もそうですし、今回の安楽死の取材で知り合った人たちもそうです。一生懸命取材を続けていると、いつか必ず、自信を持って宝物だと言える人に出会えると思います。ぜひそれを信じてほしい。そういう人に出会えたときに、見える景色が絶対あると思います。

――最後に、今後はどのようなテーマを念頭に取材を続けていきますか?

 イギリス議会でも「安楽死」法案が可決されるなど、世界的に容認の流れに傾いている中で、それを脅威に感じる障害者の方々を目の当たりにしています。彼らが置き去りにされたり、息苦しさを感じたりするのは間違いありません。特に、取材したALSの患者さんから学んだことが大きいです。ALSは、最終的には生きるために呼吸器が必要になる。7割の方は呼吸器をつけずに、延命しない道を選びます。ただその中で生きる道を選んだ方もいます。自分のためではなく、他の障害者の権利向上や、自分を支えてくれた先輩のために、困難な道とわかった上で突き進んで生きる道を選んだのです。
安楽死について報じることで、安楽死を容認する声を多く聞きます。一方で難病患者など、安楽死が認められるような社会になることに強い危機感を感じながら生きている人たちがいます。LINEジャーナリズム賞をいただけたからこそ、私はそうした弱い立場にある人たちの声をより伝えることが、自分の大きな宿題だと思っています。

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