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帰れない“DASH村” 取材続けた記事は「思いの集合体」LINEジャーナリズム賞

東日本大震災から10年を迎える。

でも、僕は「震災10年」という言葉が嫌いだ。その言葉の響きの持つ残酷さに、時々立ちすくんでしまいそうになる。

日本には古来、「一〇年一昔」という言い回しがある。「震災10年」を過ぎた後には、多くの人があの震災をもう過去のものだと思い込んでしまうのではないか。記憶から忘れ去ってしまうのではないか。

でも、違う。 断じて違う。

2021年のLINEジャーナリズム賞に輝いた朝日新聞withnewsの記事"「DASH村」人が住めなくなって10年、春には学校も…時計は止まったまま"の象徴的な一節です。2021年にLINE NEWSに配信された300万本を超える記事の中から選出されました

記者自身が前に出たストレートな表現は、通常の紙面では見られない。だがここ(LINE NEWS)では、それができる。そして届く。しかも刺さる」と賞のアドバイザーからも高い評価を受けました。

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この記事は、三浦英之さんが取材・執筆し、丹治翔さんが編集を手掛けました。LINE NEWS AWARDS 2021の表彰式で、2人が記事に託した思いを明かしました。

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受賞した(左から)丹治翔さん、三浦英之さん


「目をそらしてしまって本当にいいのだろうか」

福島県の南相馬支局の記者として、福島の人々と共に生活しながら取材を続けてきた三浦さん(※現在は岩手県の一関支局長)。表彰式では、多くの人が故郷や自宅に戻れていない地域の実情を説明し、思いを伝えました。スピーチ全文を紹介します。

スピーチ

今回、僕らが作り上げた「帰れない村」という作品は、福島県浪江町のかつてアイドルグループTOKIOが農業体験を行った「DASH村」があった津島と呼ばれる地域を、3年半にわたって取材したルポルタージュです。

皆さんご存じの通り、およそ11年前の2011年3月11日、東北地方では東日本大震災が発生し、津波で多くの人が亡くなりました。同時に、東京電力福島第一原発が水素爆発を起こし、周辺地域に大量の放射性物質が降り注いだ結果、今も多くの人が故郷や自宅に戻れていません。

かつてDASH村があった津島地区は原発から20~30キロも離れていたのですが、原発事故で放出された放射性物質が風に乗って北西方向へと運ばれ、雪や雨と一緒に野山に降り注いだため、事故から11年たった今でさえ、全域が「帰還困難区域」に指定され、1400人の住民は誰一人、自宅に帰ることができていません。そんな住民たちを一人一人訪ね歩き、原発事故から10年目の姿をつづったのが、今回の受賞作品の「帰れない村」の内容となっています。

津島地区で暮らしていた人たちの多くは、その土地で生まれ育ち、恋をし、子どもを育て、やがてこの地で死んでいくことを少しも疑わなかった穏やかな人たちです。そんな彼らにとってその地域こそが世界の全てであり、そこで育んできた地域社会や伝統文化こそが、彼らにとっての大きな財産でありました。そんなかけがえのないものをある日突然、一方的に奪われた人々は、原発事故後、知り合いのいない見知らぬ土地に強制的に移住させられて、地域の老人会にも入ることができずに、ただただ故郷に戻る日が来ることだけを信じて、日々をやり過ごしています。

そんな「帰れない村」に描かれた情景というのは、あるいは東京で暮らす方々にとっては、耳が痛く、できれば取り上げてほしくない問題かもしれません。そもそも、福島第一原発で作っていた電気は首都圏で消費するために作られていたものでしたし、莫大なお金をかけて強引に実施した東京オリンピックとは異なり、今進められている原発の廃炉作業は、いつ終わるのか、最終的にお金がいくらかかるのか、その予測すらつかない、先の全く見えない問題だからです。

でも一方で、僕らはそのような問題から目をそらしてしまって本当にいいのだろうか。「ふるさとに帰りたい」という小さな声に耳をふさいでしまっても果たしていいのだろうか。経済大国と呼ばれるこの国の一角には、まだ今も国民が立ち入ることのできない「国土」があるということを、完了の見通しがまるで立たない廃炉作業が続く「事故原発」があることを、私は、できれば、これから日本を背負っていく若い世代に知っていただきたいと思い、今回作品をあえてLINE NEWSに配信しました。その結果、多くの若い人々に読んでいただき、このような賞をいただけたのであれば心より光栄に思っておりますし、何より、心強く思っています。

最後にですが、これは決してわれわれの作品ではなくて、福島県浪江町の津島地区に暮らす人々、あるいはそこで暮らしていた人々の思いの集合体です。取材に応じていただいた多くの方々に心からお礼を言いたいと思っています。今回は本当にどうもありがとうございました。

とろふぃー

動画や構成、一人称…届けるために凝らした工夫

表彰式では、賞の特別アドバイザーを務める下村健一さん(元TBS報道キャスター・白鴎大学特任教授)と、若い世代やスマートフォンユーザーにどう伝えるか、意見を交わす場面もありました。

編集を手掛けた丹治さんは、朝日新聞社内でもスマートフォンで記事を読んでもらうよう特化して取り組む「withnews編集部」に所属し、日ごろから外部の提携先とも積極的にコラボレーションしています。LINE NEWSとは「帰れない村」について、別企画で共同制作したこともありました。
今回の企画も三浦さんから提案があった際「若い世代・スマホを使っている世代にいかにリーチするかを考えた」と出し先へのこだわりがあったといいます。「結果的に通常ではリーチできていなかった若い層にもしっかりと被災地の実情が届いた。LINEでのシェアが数万単位であったと聞いているので、この記事がコミュニケーションの起点にもなったことは大変うれしい」とコメントしました。

丹治さん2

また、記事の特徴でもある「動画」について、丹治さんが制作の背景を説明。
「津島地区で家の写真を住民と共に一戸一戸撮影するプロジェクトを実施したフォトジャーナリストの野田雅也さんに協力いただき、撮影した蓄積の中から記事の場面に合うような映像を入れました。文中の挿入動画はゆったりした感じですが、冒頭の動画は10年の時を、日付を矢継ぎ早に回すことによって表現し、どんな話なんだろうと期待を持ってスクロールしてもらえるような構成にしました」

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冒頭と記事中に挿入された動画


そしてもう一つの特徴が「記事の筆致」です。三浦さんは、新聞記者の仕事とともに「ルポライター」の肩書きでノンフィクションの書籍を書いています。新聞記事は、最初に伝えたいことや重要なことを書く“逆三角形”の文章構成になる一方、本を書く際は伝えたいことを“クライマックス”として最後に書いているといいます。
今回LINEでの掲載においては、比較的文字数のボリュームが多く書けたため本に似せた構成とし、さらに新聞では使わない「僕」という一人称を使用したことで記事を読者に印象付けました。

「ただニュースを伝え、読んでほしいというだけではなく、届かせるにはどういう表現を使えばいいのか考えなければなりません。ノンフィクションでは主語は『私』ですが、今回はLINE向けに、10代にも届くよう『僕』という“もう一段優しい”一人称を使うことにしました」

「『僕』が福島県の被災の状況を見てインタビューしていく形にすることで、読んでいる方が感情移入しながら、あたかも自分が取材しているかのように感じ取れるようにし、最後に伝えたいことを書きました。つまり、ニュースを伝達するのではなく、物語を読ませ、より深いところに届けるような手法を採用しました」

三浦さん

最後に、三浦さんは記事への思いについてこう語りました。
「僕たちはとにかく“いいもの”を作りたいと思って取材をしていますが、(読者に)少し届きにくくなっているのではという不安を持っています。なので、今回LINEのように新しいプラットフォームで記事を広げていただいた時に、僕らは本当に勇気づけられているし、できるんだなと感じたのは大きなことですね

LINEジャーナリズム賞 ノミネートは10記事

特別ページでは受賞記事のほか、ノミネートされた記事10本の全文が読めます。

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また、賞の特別アドバイザーとして昨年より参画している下村さんや、亀松太郎さん(ウェブメディア「DANRO」編集長)、治部れんげさん(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授)、清水康之さん(NPO法人自殺対策支援センターライフリンク代表)からの総評を掲載しています。

LINEジャーナリズム賞の表彰式の様子は動画でもご覧いただけます。


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